火事 fire 2005 3 27
一部の日本人は、事態の深刻さに気づいていますが、
多くの日本人は、
「火事だというのに、お茶の間で、テレビを見ている」という状況でしょうか。
改めて、火事だと言っても、
「台所が火事ならば、今度は、応接間で、テレビを見ればいい」という感じでしょう。
民主主義国の場合は、国民が主権者です。
だから、民主主義国の政府とは、与えられるものではなく、
国民自らが作っていくものです。
にもかかわらず、日々、娯楽やファッション、そしてグルメに夢中になっていると、
「火事だ」ということに気づかないでしょう。
これでは、「かごの中の鳥」です。
大事な時期に来ているというのに、あまりに無風な国会。
まるで天文学で使うような数字になってしまった財政赤字。
少子高齢化に襲撃された年金制度は、瀕死の重傷に近い。
一見、安定しているように見える経済も、実は、氷の上を歩いているようなもの。
緊迫する世界情勢。
(近隣諸国の問題も解決できないのに、常任理事国に立候補しようとする能天気さ)。
(日本は、石油を、あまりにも中東に依存しすぎています。
その中東が火事になったら、どうするのでしょうか)。
地球規模で目立ってきた異常気象。
(日本だって、異常気象が多い上に、地震までも多くなってきた)。
それなのに、国会も、政府も、無風(無気力?)に近い。
しかし、国民は、そんな政府に、怒りの声を上げず、
日々、娯楽やファッション、そしてグルメに夢中になっている状況が目立ちます。
独裁者 dictator 2004 3 19
独裁者というと、北朝鮮の独裁者を連想するでしょうか。
しかし、それには、少し疑問があるのです。
北朝鮮の独裁者は、本物の独裁者と言えるか、疑問があるのです。
本物の独裁者だったら、どうするか。
国民の全家庭に、テレビを配布し、
さらに、多数のテレビ局を作ります。
そして、朝から晩まで、娯楽番組とスポーツ番組を放映します。
こうすると、どうなるか。
多くの国民は、娯楽とスポーツに夢中になり、政治に関心がなくなります。
これで、国民には喜ばれるし、
独裁者自身は、思う存分、独裁的な権力に関して、やりたい放題となるのです。
これは、独裁者としては、一石二鳥です。
歴史を振り返れば、
昔は、テレビなどは、ありませんでしたが、
たいていの独裁者は、国民に、何らかの娯楽を与えて、
国民を、娯楽に夢中にさせて、政治に関心がなくなるようにしたものです。
これは、昔からある典型的な手法です。